自己満足の世界
戻る
1999年
4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2000年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2001年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2002年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2003年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2004年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2005年
1月|2月|3月|4月|5月|6月|7月|8月|9月|10月|11月|12月
2006年
1月|2月|3月|4月|5月
5/31(水)
今日コンビニで立ち読みをしていたら、某ペット漫画雑誌の表紙にはっちゃんの写真が。
手に取ってみてみるとはっちゃん、表紙だけじゃなくてグラビアまで飾っている。なんでも「日本一有名な猫!」ということらしい。そうだったのか。
■ 「博物館学集中コース 公開フォーラム 世界の博物館2006」
みんぱくと琵琶湖博物館主催の博物館学フォーラム。
行きたかったけどそもそも発表が日本語で行われるかどうか解らなかったので躊躇してしまった。その辺問い合わせようと思っても暇がなかったし。受付も今日までだし……
って、あれ? 申し込みの受付が5/31から6/9に延長になってる! 定員割れ? これはひょっとしてひょっとするかもだ。問い合わせてみよう。
5/30(火)
そう言えばポケットピカチューがそろそろ1000万歩に達しようと言うところだが。
おい貴様まだ付けてるのかよと言う声が聞こえてきそうだが、ああそうだよまだ付けてるんだよ。電池が切れないので止めるタイミングが掴めないんだ。現時点で996万歩強。カウンターストップしたらリセットする必要があるから、その時に止めるか、電池を入れ替えるか考えよう。
■ 「思い出せなかった怪人の名前 : donna : YOMIURI ONLINE(読売新聞)」
> 先日のコラムで、固有名詞が思い出せない例として、「桜島で仮面ライダーと戦ったあの怪人」と書いたところ、各方面から反響が。
確かにこの方凄すぎるんですが。
ヨミウリオンライン上にこういう内容を署名入りで連載するとは一体何者。
ちなみに私はV3以降世代なので、もとへ、オタクではないのでダブルライダーの衝撃は経験しておらず、この記事に共感は出来ないのだった。
5/29(月)
数日前から調子が悪い足の具合だが、昨日あたりから歩いても余り痛まなくなってきた。
「総統! 私は歩けます!」
などとマイナーなパロディはともかく、足を悪くしていた間に無意識に軸足を左から右に移してしまっていたらしい。なんか普通に立ってても違和感がある。
■ 「「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題?」
> 全国規模で卒業式、入学式での国旗掲揚、国歌斉唱に反対する運動を展開するグループのホームページなどでは、「君が代替え歌の傑作」「心ならずも『君が代』を歌わざるを得ない状況に置かれた人々のために、この歌が心の中の抵抗を支える小さな柱となる」などと紹介されている。
個人的には「こんなん好きにすればええがな」と思うのだが。これのお陰で入学式での無用な混乱が避けられるのならそれでも良いのではないかね。アレだ、犬神博士の「尾張が遠ございます」みたいな。
しかし産経、
>皇室に対する敬慕とはかけ離れた内容で、「国家は殺人を強いるものだと伝えるための歌」と解説したホームページもあった。
「君が代」って「皇室に対する敬慕」を歌った歌ではない、と言う建前でなかったの? 「君」と言うのは「あなた」と言う意味だ、だから天皇崇拝の歌じゃないよと言うエクスキューズを一時期あちこちで聞いたのだが。
ちなみに君が代はさっさと廃止して新しい国歌を作るべし、と言うのが個人的な意見。君が代はリベラルと反日がごたまぜになっている現状の遠因の一つにはなっていると私は思う。
5/28(日)
ああ、そうか。
「大国主命→「ダイコク」と読める→大黒様→習合」
がOKなら、
「サンタクロース→大きなフクロを背負っている→大黒様→習合」
もOKの筈だ。
あと、
「キリスト→神の言葉を伝える→釈迦如来→習合」
「神→神の子を導く→大日如来→習合」
「マリア様→なんとなく→観音菩薩→習合」
うむ。完璧だ。伴天連恐るるに足らず。神仏習合万歳。
5/27(土)
今日近所のバザーに行ったら50円の似顔絵描きが演っていたので描いて貰った。
似てなかったら日記のネタにアップしようと思っていたのだが、結構似ていたのでアップしないぞ。
あと、今日テレビを見ていたらいきなりはっちゃんが出てきて吃驚した。なんだか「関西圏で超絶大人気! 知らなきゃモグリ!」と言うことらしい。そんなことになっているとは全然知らなかった。と言うかあまりに地元すぎて全然実感がなかった。6/1にはDVDも出るらしい。
■ 「編集記者から 女性から見たメードカフェ=地方部・亀田早苗」
>数百円でご主人様になれるメードカフェの流行を、私は喜べない。幻想に守られた“家”で、飲み物を混ぜてくれるメードさんをうっとり眺める男性客に「いい若い者が大丈夫か」と胸ぐらを揺さぶってやりたい気持ちがわきあがってくるのだった。
昔、鶴瓶がダウンタウンのコント「アホアホマン」を見て「ああそうか、アホは莫迦にしたらあかんけどアホアホマンは莫迦にしてええんや」と感心していたのを見た記憶がある。
中島らもは莫迦キャラとして「きちがいインドおかま」なるものを産み出した。「きちがい」や「インド人」や「おかまさん」は差別しては駄目だが、「「きちがいインドおかま」は差別しても良いわけだ。
この記事を読んで、そんなことを思い出した。
「おたく」と言うのは、かつて「差別して良い」対象だった。
特に宮崎勤のあの事件。あの頃は「おたく=犯罪予備軍」だった。だから「おたく」ではない人々は主に正義感を拠としておたくを差別した。
たぶん、この記者の頭の中にはそう言う被差別対象としての「おたく」の姿がまだ残っているのではないかという気がする。恐らく40代以上なのではないか。少なくとも年齢的にも世代的にも若い者の発想ではない。
5/26(金)
先日科学未来館で見た学習ロボットを見たときに、ふと育成ゲームのネタを思いついた。
これまですっかり忘れていたのだが、今日ふと思い出したのでちょっとメモっておく。
簡単に書くと、学習型オセロ。昔「ヘキサポーン」ってのがあったけど(知ってる?)あんな感じ。
ルールはオセロと同じ。板は8×8だとでかすぎるので6×6で作る。人間とコンピュータの対戦。コンピュータは最初はデタラメに指すので弱いが、負けた手を選択肢から省いていき徐々に強くなっていく。少なくとも、最後まで読み切っても勝ちが見えない手は削除する。先手と後手は選択できるようにした方が良い。そうすればコンピュータ同士勝手に対戦させておくと両方勝手に強くなっていくはず。
さて、どうしようかね。実装はそれほど難しくないと思う。ただ、保持データが膨大になりそうなのでそれをどう処理するか。オンメモリだと確実に溢れる。とりあえずは何も考えずに作ってみるかね(なんか全く同じものを他の誰かが作ってそうな気もする)。
■ 「透明マント作れます」英の学者ら開発理論」
>光の進む方向を制御できる特殊な微細構造を持つ複合素材を開発できれば、川の水が丸い石に妨げられず滑らかに流れていくように、光が物体を迂回(うかい)して進む。
> この場合、人間の目には、そこには何もないように見え、影もできない。
一瞬「おお」と思ったが、なんか凄く無理のある仮定だな。なんか「当分作れる見込みはない」と同義のような気がするぞ。
5/25(木)
数日前怪我をした足の指が、昨日あたりから化膿しはじめた。痛くて普通に歩けないぞ。
あと、なんだか解らないが変な頭痛がする。ヤな感じ。
■ 「女性線路転落:韓国人留学生が救出 JR山手線新大久保駅」
>「見て見ぬふりは出来ない」。線路に飛び降り、夢中で女性の体を持ち上げた。
この方を悪く言うつもりはないが、マスコミがこういう行為を無条件に美談として持ち上げるのはどうかと思う。この方は50キロくらいあるものを一人で抱えて自分の頭くらいの高さまで持ち上げることが出来るパワフルな方だったのだろうが、普通の人間に出来ることではない。こういう風に「線路飛び降りイズビューティフル! 君もレッツダイブ!」みたいに煽るとまた前みたいにマネする人間が続出、と言うことになりかねないと思う。
まあ、その場合でも前みたいに「困った風潮です」とか手のひらを返せばよいだけだろうがな。
■ 「お手柄高校生 西鉄が感謝状 ホームから男性転落…連係プレーで救出」
>電車の緊急停止ボタンを押したり、近くの人に助けを求めたりした。
ああ、これが正しい対応だ。みんなもっとこの高校生をホメるべきだ。
5/24(水)
で、今日は何対何で負けたんだよ。
……と思ってたら久々に勝ったみたいね。
って言うか中村勝広なぞを監督に据えたのはどこのどいつなんだ。さっさと新井宏昌を出せ。仰木の後を継げるのは新井しかいない。
■ 「脳の“指示”でロボが「じゃんけん」…ホンダなど開発」
うひょー凄いなこれは。
ただ、この写真はちょっと誤解を招くように思う。これはあらかじめスキャンしたデータを流してるのかな。とにかくわざわざMRIで脳をスキャンする必要があるので、あちこち持ち出せるような気軽な装置ではないことは確かだ(現時点では)。
5/23(火)
19日にごみ処理関連について調べたことを書いたが、その時書こうと思っていたことを一部書き忘れていたのでちょっとだけ書く。単に「へえ」と思ったことを羅列するだけだが。
・日本のごみ処理費用は一年あたりおよそ2.5~3兆円。これは国防費のおよそ半分、実質GDPの0.5%程度。
・自然公園等にあるロッジ・ログハウスの利用料金は必ずしも安くないが、この費用のほとんど(9割ほど)はごみ処理費に充てられている。よって、ロッジを借りてキャンプファイヤー花火バーベキュー等でゴミを産出しまくった人間には「ロッジの利用料が高い!」と喚く権利はない。逆に言うと、ゴミを極力産み出さない、出たゴミは持ち帰る、を徹底するとすれば、利用料を9割削減できる余地はある。
■ 「神の一覧 - Wikipedia」
■ 「日本の神の一覧 - Wikipedia」
覚え書き。
そう言えば出雲大社では日本神話の神である大国主命(オオクニヌシノミコト)が祀られているが、それが単に「音読みした場合同じ音になる」という理由だけで仏教の七福神の一人大黒天と同一視されるようになった、と言う話には笑った。大らかというかイイカゲンというか。全然違うがな。
5/22(月)
■ 「マーケットの馬車馬: 平和主義を唱える人たちへ」
「「平和」を念仏のように唱えていれば、世界中の人間が平和を望んでいれば世界は平和になる」。
そう言う意見に対してはほぼ反射的に「そんなわけないじゃん」と答えてしまいそうになるが、ゲーム理論の観点で考察を行い結果としてその「そんなわけないじゃん」を導き出したテキスト。
こう言う「一見当たり前のこと」と言うのは意外に論理的考察が面倒な場合が多い。このテキストも「当たり前」のことを検証するのにこれだけの文章、および大量の議論を必要としている。
結果としてこの「そんなわけないじゃん」には論理的整合性があったわけだが、世の中にはその「当たり前」が論理的必然性(≠有用性)を持たない呪いの言葉であることも少なくない。だからその当たり前のことが当たり前のことなのは「それが当たり前のことだからだ」と言うトートロジーで納得するのがコスト対効果で考えると最も賢い。
とここまで書いて次に「テツガクとは云々」の話を展開しようと思ったが長くなりすぎるので止める。
ただ一言だけ言っておくと、「テツガク」なるものは必要に迫られない限り手を出さないほうが良い。
世の中には「仕組みは知らないけど使い方は判る」程度のブラックボックスは沢山ある。テツガクが必要な状況と言うのは、そのブラックボックスをついうっかり開けて壊してしまった場合、自分の中のブラックボックスが最初から壊れていてそれをちゃんと動くように修理しなければならなくなった場合、くらいのものだと思う。そしてそうやってブラックボックスを修理したとしても、そのブラックボックスは壊れる前より機能が上がるわけではない。単に元通りに動くようになるだけなのである。わざわざ自分からテツガクをする必要はどこにもない。
5/21(日)
近所にあるゲームセンターのUFOキャッチャーに、こんなのがあったのでついうっかりゲットしてしまった。
2006/05/21 I'm not boy.
「さあ取ってください」と言わんばかりのありえない難易度。これほど簡単なのは記憶にある限り10年ほど前の心斎橋ギーゴにあったナイトメアTシャツの台以来だが、おそらくアレの倍以上簡単だ。100円入れれば確実にゲットできると思う。
これだけ簡単にゲットできるくせに、7種類ものゲームが楽しめるばかりかイヤフォンまで付属している。なかなか行き届いたニクい奴だ。
2006/05/21 GAME JOY micro
そんなわけで、早速プレイ。
……。
……。
封印。
~完~
5/20(土)
■ 「退職金:だれのもの 男性「自分と妻」/女性「自分のもの」--団塊世代、大きな落差」
古いニュースだが、悔しいのでここで紹介しておく。
この記事タイトルは必要以上に煽動的だ。ぱっと見て「夫の定年時の退職金を、夫は夫婦のものと考えているが妻は自分のものと考えている」という風に読まれかねない(お恥ずかしいことに私は最初そのように誤読した)。記事を読めば気付くが、これは「男女の会社員」に対して、「自分が定年時に受け取る退職金が誰のものか」を問うたアンケートなのだ。
つまりだ。
> 受け取る退職金について、男性の69・3%が「自分と妻のもの」と答え、「自分のもの」と回答したのは11・6%。一方、女性は「自分と夫のもの」は24・1%、「自分のもの」は55・4%で、退職金に対する考え方の違いが浮き彫りになった。
こう言う結果になったのは、単に「共働きの夫婦は退職金は自分のものだと考えている」「片方のみ働いている夫婦は退職金は夫婦のものだと考えている」と考えるべきであると思う。男に較べて女の共働きは間違いなく多いはずで、それを考慮せずに結論を出すのは(少なくともここに書かれている情報のみから男女間での差違を見いだすのは)無理がある。もちろん「女の共働きは多い」についての根拠はないので「そう思う」以上踏み込むことは出来ないが、少なくともちゃんとしたアンケートなら共働きかそうでないかくらいは調査項目にあるはずで、もしなかったのだとすればちゃんとしたアンケートとは言い難い(よって報じる価値もない)し、あったけど報じていないのだとすればそれは報じた側にそう言う意図があったか、報じた側が並外れた莫迦であったかのいずれかだ。
よって、この記事はアンケート結果の報道に名を借りた、団塊世代の夫婦の亀裂を煽動するためのアジテーションである、と見てまず間違いない。もしちゃんとしたアンケートと言えない代物だったのであればやはりそれを報じる側に意図が存在せざるを得ないし、新聞記者をやっている人間がそんな桁外れの莫迦とは考えがたいからだ。
いや、別に新聞がアジテーションするな公平でいろと言いたいつもりはこれっぽっちもないのだが、こんな下らない記事に一瞬でも騙された自分が悔しいのでこうやって騒いでみた。
5/19(金)
悪名高い大阪のごみ処理場「大阪環境事業局舞州工場」だが、少し前「デザインによって建設費用が高くなったと言う事実はない。むしろ安くなったと言えるかもしれない」と言う話を小耳に挟んだ。
にわかには信じがたい話の上、ソースを提示しての主張でもなかったのでそれが本当かどうかは解らなかったが、確かに私が無条件に「ああいうデザインだと普通に建てるより大幅に費用が嵩む」と思い込んでしまっていたのは事実だ。
そんな自分にちょっとムカついたので軽く調べてみた。
……わからん。
少なくともこの舞州工場を普通に作った場合の費用、と言うのは算出しようがないので他の同規模のごみ処理場の建設費用との比較をするしかないのだが、舞州工場の処理能力は一日900トン。これだけの規模の処理場ってなかなかない。そもそも費用が公開されているものがほとんど見当たらない。
で、しばらく探してみてようやくいくつかそれらしいのを見つけた。
まず、鳴門市。ここにに新しく建設されるごみ焼却場、この建設費用はざっくり100億程度らしい。で、処理能力は70トン/日。
次、横浜市鶴見工場。建設費用は518億円。処理能力は1200トン/日。
横浜市都筑工場。建設費用は287億円。処理能力は1200トン/日。
建設時期によって費用もかなり違うだろうから簡単には比較できないし(横浜の二工場は同規模なのに予算が全然違う)、大阪の600億の内訳もよく解らないのでこれだけで判断するのは早計だと思うので、ここまで調べておいて何だが判断は保留する。手触りとして感じていることはあるがここには書かないでおく。
5/18(木)
■ 「News and Information 起動が速い」「小型軽量」「使いやすい」文庫本サイズの高性能モバイルPC VAIO「type U」発売」
まあ小型PCに関してはシグマリオン3で完全に事足りているので私がこの手のPCを買うことはないと思うが、私はバイオC1の頃の「ものづくり」ソニーが好きだったのでまたこういう商品を出してくるようになったのは嬉しいな。PS3でコケてまた雌伏、なんてことにならなければ良いのだが。
■ 「Cafe i-maid 閉店のお知らせ」
ああ、やはりな。
開店間もない頃に「この店すぐ潰れると思う」「ウェイトレスとしての立場で考えると、この店はメリットが少ない」「店員側の待遇が疎かになっているのではないか」と書いたがまさにドンピシャと言うか、2年足らずで閉店と相成ったらしい。少なくとも「メイド不足」が原因の一つであるのは間違いないと思う。
5/17(水)
■ 「日本以外全部沈没 - 映画作品紹介」
ん? エイプリルフールはもう過ぎたよ?
……と思ったらマジネタかよ。なんでもありだな。
しかしこれ、改めてストーリー読むだけでも笑えるな。しかも映画化スタッフが「監督・脚本:河崎実/監修:実相寺昭雄」。こりゃまともな代物になるわけがない。期待しておこう。
■ 「局への求職者を「評論家」と間違え会見、放送 BBC」
■ 「X51.ORG:タクシー運転手がコンピューター専門家と間違われて生放送に出演 → 何となく音楽ダウンロードの未来を語る」
CNNとX51が同じニュースを扱ってるのって初めて見た。
>本物のキューニー氏はスタジオの待合室で愕然としながら番組のモニターを見つめていた。
絵がありありと想像できるな。ビデオの映像も、名前を紹介された瞬間のゴーマ氏の狼狽ぶりが面白すぎる。モンティパイソンのスケッチかよ!
5/16(火)
■ 「新ブランドは「ソフトバンクモバイル」に」
「ヤフー」よりはマシかも知れないが「ソフトバンク」のイメージも相当悪いように思う。完全に新しい名前のブランドにしたほうがまだ良かったのではないか。
■ 「ドラえもんのひみつ道具の中で欲しいものランキング」
男性は物を透視することができる『透視めがね』が11位に、女性は食べたいものが何でも出てくる『グルメテーブルかけ』が10位にきているところが特徴的です。『透視めがね』は男のロマン・冒険心を刺激するひみつ道具、『グルメテーブルかけ』は食やグルメに関心の高い女性に人気のひみつ道具であることがわかります。
よく解らんが、透視がロマンや冒険心を刺激するのか。アレか。これを使ってピラミッドの中を透視、未知の部屋を発見、とかか。
ちなみに私も幼い頃誰かからこういう質問をされたことがあるが、私はその時「絵本はいりこみぐつ」と答えた覚えがある。絵本はいりこみぐつでドラえもんの世界に入り込み、ドラえもんから四次元ポケットを強奪して帰ってくる、と言う筋書きだ。我ながら子供らしい夢のある回答だったと思うがどうか。
■ 「伝奇ゲームファンのための日本伝奇入門」
とりあえずメモ。読むかどうか解らんけど。
5/15(月)
■ 「水子の祟り」
>しかし、「水子の祟り」というのは、1970年代に、いわゆる新・新宗教が"考案"し、つくりだしたものなのだ。
>昔の民間では、生後まもなく死亡した幼児を含めて、成人とは異なる葬送の方式がとられていた。
>これは、水子は人間の子と考えず、神の子という考え方があり、死んでも仏にならないので仏の扱いをせずに、すみやかな再生を願ってのことと考えられている。
あれ、そうなの?
……と思ってしまうのは「賽の河原」の話が頭の中にあるから。アレは成仏できない幼子や水子の話だと思っていたのだが。
「水子の祟り」と言う概念が70年代のものとして、「水子」と言う概念、「水子の供養(地蔵菩薩とか水子観音/地蔵とか)」と言う概念はそれぞれどうなんだろうね。
あ、ひょっとしてこういうことか。
・水子……死ぬと水になる。よって成仏せずに再生する。
・幼子……死ぬと賽の河原へ。父母の供養のために小石を積み上げるが、絶えず鬼に崩される。やがて地蔵菩薩により救われる。
こう考えると仮説としてつじつまは合うね。つまり水子と幼子の死後は全く違う運命が待ち受けていると。なら、地蔵菩薩と水子観音/地蔵とをごっちゃに考えるのがそもそもの間違いなのか。もし水子観音/地蔵なるものが70年以降の創作だとすればまず間違いない。
オーケイ、ちょっと裏を取ってみるか。水子の「成人とは異なる葬送の方式」と言うのがいかなるものだったのかも調べてみれば良いな。ああなんかワクワクしてきた。
5/14(日)
母の日。
毎年特に気の利いたものを思いつくわけでもないので、今年も特に珍しくないカーネーションの鉢。もうちょっと代わり映えのするものを贈ってみた気もするがなんかないものかね。
■ 「WILLCOM応援団: ウィルコム定額プランは本当なんだけどなぁ。」
>そこで例によって『ウィルコム定額プラン』の話をしてみたら、うっすらとそんなケータイがある事は認知していたようですが、本当の事とは思っていなかったらしく、とても驚いていました。
こういう反応が起こるのはたぶん、ウィルコム定額プランが安すぎるから、と言うのも理由なんじゃないかと言う気がする。情報が耳に入ってきても現実感が薄いためスルーしてしまう。あと、知名度が低いのもマイナス。電話に限らず、マイナーなとこがそんな常識はずれの激安商品を提示してきたら普通警戒するよな。
まあ私としては別にユーザが増えようが減ろうが「ユーザが増えすぎて回線が足りない」「ユーザが減りすぎて値上げ」みたいなことにならない限りはどうでも良いのだが。とりあえずウィルコムさん、地方のアンテナをもっと増やしてください。淡路島の北あたりは特に(←えらくピンポイントやな)。
5/13(土)
■ 「pya! 温かいnya」
■ 「pya! 炎(その2)」
pya!から二題。上のやつは前紹介したかも知れないと思ったがちょっと調べた限りではしてなかったので今紹介してみる。
■ 「チェコの巨匠、ヤン・シュバンクマイエル来日」
>「ここ100年の人類の文明が生んだものは、ファシズムであり、スターリニズム。全ての責任は文明にある。89年に旧東欧圏は自由を得たが、それで人類の問題が解決したわけではないし、チェコの40年間の共産主義など、人類全体の文明からすればちっぽけなもの。作品に対する検閲はなくなったが、当時と今で大して“自由”に変化はないよ」
ああ、やはりと言うか、シュヴァンクマイエルなら屹度そう言うだろうなと思った。
5/12(金)
家に帰ってみると、京都国立博物館から封筒が。
三月末に応募した「ぐるっとパス」のスタンプラリーに当選したらしい。
前回は最初に当選したときに較べて内容がショボくなっているような気がしたが、今回はこんな感じ。
・絵はがき「楼蘭の朝(平山郁夫)」(佐川美術館)
・絵はがき「自然釉壺」(丹波古陶館)
・絵はがき「神戸人形「お化け箱」」(日本玩具博物館)
・絵はがき「少女図(岸竹堂)」(奈良県立美術館)
・絵はがき「(屏風絵詳細不明)」(不明)
……これだけ?
ええ、これだけです。絵はがき5枚だけ。さすがにちょっと凹んだ。
……さて、2006年度のスタンプラリーはどうなってる事やら。
5/11(木)
■ 「次世代炭素素材、生産効率100倍以上に向上」
>研究グループは、高温の加熱炉に原料の炭素と触媒を噴霧する従来の方法を改良。原料の温度や反応状態を精密に制御することで純度を97・5%以上に高めたカーボンナノチューブを作ることに成功。生産効率も従来の100倍以上に向上した。
うおおこれは凄い。
純度50%から97.5%への改善を「従来の約2倍の高純度」と言うのは、確かに表現としては正しいがこうサラッと書いて良いもんかね。「陸上世界新記録
。100メートルを5秒。これは従来の記録の約2倍」って言われた時のような違和感がある。
それはともかく、これで軌道エレベータの実現にまた一歩近づいたわけだ。生きているうちに実物を拝めるだろうか。
■ 「たけくまメモ:手塚伝説」
どうも世の中には素晴らしい業績を残した人間は人格者でもあるべし、と言う風潮があるようで、手塚治虫もなんだか人格者だったとかヒューマニズムの人だったとかの評価をしたがっている人もいるようだ。しかしエピソードを聴く限り、私には手塚治虫という人は人格障害だったとしか思えない。手塚治虫は人格者と言うより人格破綻者だったし、ヒューマニズムを信じるほど甘ったるい人間でもありえない。もちろんそれによって私の中の氏の作品の評価が変わるわけはないし、変わるはずもない。美人が美しいうんこをするとは限らない。ある人間とその生産物は切り離して考えられるべきだ。
ちなみに同様の誤解は例えば星新一に対しても存在すると思う。星新一って常識的・良識的な人であるという印象を抱いている方も多いと思うが、小松左京に言わせると「あんな滅茶苦茶な人間は他にいない」と言うことらしい。
5/10(水)
■ 「任天堂、E3で「Wii」のコントローラを披露--価格や発売日は公表されず」
前々から思ってたのだが、Wiiのこのコントローラって絶対子供が投げつけると思うのだがどうか。
投げつけないまでも、振り回しているうちにすっぽ抜けて大型液晶テレビを破損、訴訟続出━━みたいなシナリオが見えて仕方がない。まあしたたかな任天堂のことだからその辺は織り込み済みなのだろうが、具体的にどのようにそういう事態を回避するつもりなのかについてとても興味がある。
■ 「@nifty:デイリーポータルZ:洗えば直る」
ああ、これ、有名な話だと思っていたがそうでもなかったのか? 少なくともテレビとかビデオ程度なら洗えばかなりの確度で治る(注:テレビを洗うときはコンセントを抜いてから一日くらいは放置してからでないと危険)。関西圏ではナイトスクープとかでも紹介されていたので知っている方も多いのではないかな。
ちなみに東京行き直前に壊れたビデオボードも出立前に洗って自然乾燥させておいたのだが、帰ってきてから繋いで試してみても治っていなかった。無念。
5/9(火)
はい、本日は斑猫およびうちの子猫の誕生日ですね。
私も今年で25歳になりました。え、それはもう飽きた? そうですか。じゃあ35歳になりました。嘘です。
■ 「SCEI、PS3を11月11日に62,790円で発売」
うわ、高っ!
ニンテンドーDSが4台買える値段だよ。正直こりゃ駄目だと思うな。「ブルーレイプレーヤーとして見ると安い」と言う意見もあるかも知れないが、ブルーレイプレーヤーとは売れ方が根本的に違うわけで……。
こりゃ、日本ではWii一人勝ちかもな。
■ 「[ゲーム]PS3のコントローラは、傾きと加速度センサーを内蔵」
>これに伴い、振動機能がオミットされることとなった。振動がコントローラーを動かした際の検出に影響するため。
そうかー、振動機能無くなるんだー。傾きセンサーのためなら仕方ないなー(棒読み)。ァ,、,、('∀`) ァ,、,、
5/8(月)
久々に仕事。
いつもは長期連休後は意識が飛んだり欝気味になったりするのだが今回は今のところちょっと体調を崩しているくらいで特に問題は無い。冷静に考えるとかなり「やってられない」状況に舞い戻ってきたのでもうちょっと絶望的になっても良さそうなものだがね。
そんなわけで、連休中の日記はゆるゆるアップしていきます。書きやすい日の日記からバラバラに書いて日付順にソートしてアップするつもりなので一番上の日記だけ見てたら見逃すかもですよ。まあ見逃しても特に問題ない日記ばっかだとは思いますが。
5/7(日)
明石市立天文科学館へ。
「ゴールデンウィーク わくわくフェスタ」。
明石駅に降り立ったときはそうでもなかったものの、科学館に着いた頃は土砂降りと言って良い雨。イベント時には大抵館の前でバザーや縁日のような出し物を演っているのだが、この雨で全て中止になったらしい。
そんな中、予定通りに開催されていたのはプラネタリウム内でのビンゴ大会。司会は天文科学館の「顔」と言っても良いI学芸員さん……。
ってちょっと待った。
Iさんってビンゴ大会の10分後に始まる「軌道星隊シゴセンジャー」でブラック星博士役で出演するんじゃなかったですか。今こんなとこで司会やってて間に合うんですか。
とか思いながらビンゴ大会開始。余談だが最初のビンゴが出るまで私は一つもカードに穴が空かず本気で凹んだ。
まあそれはともかく。
続いてプラネタリウム「軌道星隊シゴセンジャー」。
シゴセンジャーが初めて我々の前に姿を表したのは去年のゴールデンウィーク。その時たまたま明石方面にチャリンコ旅行中だった私は何の予備知識もなく見て本気で腰を抜かしたが、今回は「もうお馴染み」になっているぶん初回のようなサプライズは期待できないのは仕方ないところか。最初はシゴセンジャー二人が司会をして、後半30分くらいからブラック星博士が乱入。ああ、その間に準備してたんだなIさん。
しかしシゴセンジャーとブラック星博士のクイズ対決、最後のアレはどうなんだろう。詳しくは書かないが観客(少なくとも私)はキョトンとしていたぞ。いや、ああ言うズレ方がいかにもここらしいと言えばらしいのだが。
その後は玄関前まで出てシゴセンジャー、ブラック星博士と写真撮影。
いや、私は流石に撮ってもらわなかったので子供達とノリノリで写真撮影している様子を横目に見ながら「シゴセンジャーSET」を買ったり友の会入会の手続きをしたり。ちなみに会員証は「一週間ほどでお届けします」とのことでしたがこの日記を書いている時点(5/21)ではまだ届いてないんですが大丈夫ですか。
で、「シゴセンジャー」の20分後に次のプラネタリウム投影があることを知ったので再びプラネタリウム室へ。ここのプラネタリウムってほんの10~30分程度の入れ替え時間を除いてほとんど常に稼働しているらしい。しかも回毎に違うプログラムなのでプラネタリウムと展示を全て一日で見切るのは物理的に不可能なのだな。
そんなこんなでプラネタリウムの席に座ってほっと一息。
ふと横を見ると、コントロールパネルの前で投影の準備をしているIさんの姿が。
( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
_, ._
(;゚ Д゚) …?!
……いや、マジでそんな感じ。
Iさん、あなたほんの数分前に一階でブラック星博士のカッコしてお子様どもと一緒に写真撮ってませんでしたか。どう考えてもさっきから5分程度しか経ってないんですがその間に写真撮影終わらせて服着替えたんですか。驚きのあまりマジマジと顔を覗き込んでしまった。私は何か勘違いしているのだろうか。
その後は明石のタコ、鯛、海苔をふんだんに使ったおにぎりを買って昼食。明石と言えばタコと鯛と海苔。それを一度に味わえるのだから美味しくないわけがない。コンビニとかで売ってるおにぎりに較べると値段はやや張るが「うまい! うますぎる!」と風が語りかける旨さだ。お世辞抜きで普通のおにぎりとはレベルが違う。明石に来たからにはこいつは食べないと駄目ですぜ奥さん(誰だよ)。
5/6(土)
科学未来館へ。
到着したのは開館30分前。既に館の前にはものすごい長蛇の列が。思わず我が目を疑ったがどう少なく見積もっても300人は並んでいる。メガスターの新プログラム「暗やみの色」を見るつもりだったがそれどころではなかった。悔しい。猛烈に悔しい。次は開館1時間前に来よう……。
それはともかく、特別企画展「脳! -内なる不思議の世界へ」。
装置としての「脳」を、進化の過程、機能などあらゆる面から捉えた展示。
たとえば起きあがり学習ロボット。これは脳の「学習」を機械にシミュレートさせたもの。仕組みとしてはごく単純なのだが一般の方へのアイキャッチはかなり強烈だったらしい。興奮した様子でおねえさんがインタプリタの方に色々質問していたのが印象的だった。
で、個人的に一番衝撃を受けたのがバーチャルハルシネーション体験。
これは……ほんの数分体験するだけで滅茶苦茶怖い。体験時間は7~8分程度なのだが私はその半分くらいで中止してしまった。いや、何でって、私が体験している間、他の体験待ちの人が後ろにずらっと並んでるんだ。その人達の声が聞こえてくるんだよ。本当は単に他愛ない雑談してるだけなんだろうけど、それが「こいついつまでやってるんだ」「早く替われよこの莫迦」とか言ってるような気がしてくるんだよ。「悪意に包まれたような気がしてくる」と言うか。その辺の感覚、具体的なところはとても説明しにくいのだが(ここで説明してその感覚を理解してもらえるのならこんな装置は必要ないわけで)、機会があれば是非試してみて頂きたい。ただし年齢制限があるので18歳未満だったかな、とにかくそれ以下の年齢の方は体験できない。あしからず。
あ、この企画展、来年春に大阪にも来るんだな。その時はまた行ってみるか(しかしなぜ大阪歴史博物館なんだろうか)。
あと、常設展示場内にて特別企画展「予感研究所」なる展示が行われていた。テクノロジー系アートの展示。まあ明和電機とかあのへん。独り言系ではなくエンタメ志向なので確かに楽しめたのだが、どうも「想定の範囲内」に収まってしまっているのは物足りないような気がしないでもない。「テクノロジー」と「アート」のどちらに軸足を置くかにも因るのだろうが、こう言うのは観客に「なるほど」と言わせたら駄目だと思うのだが。
その後はアサヒアートスクエアの「UNDERCOVER meets Svankmajer」。
どうでも良いが、アートスクエアのビルの上に乗っかっているものは何というか、アレにしか見えないのだがどうか。試しに検索してみたら案の定というか山程ヒットするのだが。
それはともかく、展示自体は大体葉山で見たものと同じ、かどうかは解らないが見た記憶のあるものばかりだった。UNDERCOVERの服も、目玉とか髪の毛とか、部品自体は確かにそれっぽいのだが、飽くまで「ファッション」である以上どうしても生じる「コジャレ感」がシュヴァンクマイエルとは相容れないような気がする。パーマネントなものである以上仕方ないと言えばそうだが、生臭さが足りない。と言うか、生臭さがない。肉々しさがない。せめて虫を使え、とか思った。
とは言え、今回この展示を見て、シュヴァンクマイエルが今一体何をしようとしているのかが何となく解った。チェコの共産党政権が倒れ自由主義国となった今、氏がいったい何をモチベーションに創作を続けているのか不思議だったのだが、今回この展示を見て何となく解った。これまでずっと氏の作品を追いかけ続けてきて、どうしても解らなかったことがこの日解った。で、その思想を私が理解は出来るにしてもとてもついていけないことも解った。言葉を換えると、シュヴァンクマイエルについては半分がた気が済んだ。今後、氏の映画を観ることは止めないだろうがわざわざ図録や研究本を読み込んだりすることはないだろうと思う。
2006/05/06 そびえたつうんこビル
夜遅くに帰阪。
5/5(金)
国立歴史民俗博物館へ。
まず思ったのが「広い」。
門をくぐってから入り口までこれだけ歩かされた博物館は他に知らない。
2006/05/05 国立歴史民俗博物館 入り口
で、企画展「日本の神々と祭り-神社とは何か?-」。
いやぁ、面白かった面白かった。無茶苦茶に面白かった。
実のところ「神々」そのものではなくそれを祀る装置としての「神社」とはいったい何なのか、について解説しているのだが、出雲大社、伊勢神宮、厳島神社、八坂神社を例に引いて、建築、祭り、神宝等の面から丁寧に解き明かしていくその手法はとても手堅い。具体的なところについては多すぎてここには書ききれないが、例えば祇園祭は何故あんな雨がちな時季に街中をあんな鉾を引いてまわるのか、なぜ祭りの後は鉾は速やかに解体されなければならないのか。京都の人間ならたぶん当然のように知っているのだろうが私は知らなかった。そう言う全く知らなかったこと、知ったつもりで実はよく知らなかったこと、表面的な部分ではなく本質的な点について様々な側面から解説してくれている。特別展だけで3時間掛けてしまった。
ちなみに図録の方も素晴らしい出来映え。「図録」と言うと展示資料の解説に終始して展示を見た人でないとピンとこない、みたいな印象があるが、これは民俗学の一般教養レベルの教科書あるいは副読本として使えると思う。なんかこれを編集した方々って教科書作ったことがあるんじゃないかなという気がする。余談だがこの図録の189ページの写真はシュヴァンクマイエルっぽい(と書いてどれだけの人間に通じるのか)。
で、その後常設展を見たのだが……正直今ひとつ。
あっちこっち見てまわると解るが、地方の歴史系博物館は、その地方の「物語」を前提として展示が組み立てられている。例えば神奈川だったら歴史は江戸後期から始まるし、大阪だったら秀吉は「太閤さん」で絶対良い人と言うことになっている。福岡だったら秀吉は朝鮮出兵を企んだ悪人で、それに反対した地方大名が善人と言うことになる。そう言う物語を軸として展示を組み立てる。だからとても感情移入しやすくなる。
でもここは国立なので、そう言うドメスティックな物語を軸に出来ない。その結果、どの展示もまるで教科書みたいな余所余所しいものになってしまった。教科書的な事実の羅列に、取って付けたようなヒューマニズム。
その昔こんなことがありました。別の昔にはこんなことがありました。誰々がサベツされていました。サベツはいけません。おしまい。
歴史の授業が詰らないのは、そこに物語が存在しないからだ。物語が存在しないのは、それがあくまで最大公約数の「お勉強」でなければならないからだ。この博物館の常設展示は国立故に無味乾燥で詰らないものになってしまった。
この常設展、歴史の資料集みたいで中高生の歴史の授業の参考として見に来る分にはとても有効だと思うが、これをきっかけに歴史や民俗に興味を抱くか、と言われると非常に疑問だと思う。仕方ないと言えば仕方ないのだが……。
常設展の対象年齢は中学生~大学生がメインだと思う。
所要時間は……2、3時間と言ったところ。
展示案内「国立歴史民俗博物館ガイドブック」500円。56ページフルカラー。
ミュージアムショップではハニワとかが1000円台からで購入できるのでそれはお得かも知れない。あと、博物館の特大(ちゃんと測ってないがA1かB1だと思う)ポスターが50円。金色でなかなか格好良いので買って損はないと思う。(と言うか私は買った)。
夜は東京方面へ。久々の秋葉原でコンバット老人さんご一行と飲み会。色々やばい話が聴けて楽しかったがやばすぎるのでここでは書かない。
その後は皆様方とせっかくだからさんのお宅にお邪魔してゲーム大会。予定がキツキツの時はこれだけディープに遊ぶとキツイのだが今回はやや余裕があったので割と遅くまでムサピィとか初代ファミスタとか。こういう遊び方は久しぶりのような気がする。
んなわけで宿をお貸しいただいたせっかくだからさんをはじめ皆々様、本当に有難うございました(翌日はさっさと出立してしまったので皆様にお礼できず失礼しました)。また遊びましょう。
5/4(木)
千鳥ヶ淵戦没者墓苑および靖国神社へ。
千鳥ヶ淵戦没者墓苑。ここは靖国のような「神社」ではなく「お墓」。先の戦争で亡くなった無名戦没者が眠っている。終戦の日に靖国参りするような方は当然こちらもお参りしてるよね。靖国のすぐ傍にあるんだし。
ところで話は変わるが、先の戦争が「アジア解放のため」の戦争だった、と本気で信じている方は、自信を持って「日本は太平洋戦争に勝利した」と言うべきだと思う。いや、皮肉じゃなくて。戦争というのは飽くまで「目的を達成した」時点で勝ちだ。原爆を落とされようが占領下に置かれようが勝ちは勝ちだ。あの戦争でアジア解放が達成されたのは間違いなく事実である以上、先の戦争が本当にアジア解放のためだったのだとすれば日本はあの戦争に間違いなく勝っている。「アジア解放のための戦争」という主張の上で日本の勝利を認めない方が居られたらその根拠をお訊きしたい。
午後は国立科学博物館の「ナスカ展」へ。
ナスカと言えばすぐ思い出すのは地上絵だが、地上絵が多分に信仰を下敷きとしたものである限り、地上絵を語るにあたってナスカの人々の文化を語らざるを得ない。そう言う意味でとても充実した展示だった。ナスカのシャーマンはどのようなものだったか。彼らが何を何のために崇めたのか。地上絵はもはや「ミステリー」ではなく、「必然」の一歩手前のところまで研究されているのだな。
あと、個人的に「神話的斑ネコの壺」がとても気に入った(斑猫だけに)。絵葉書とかあれば良かったのにな。
図録と地上絵地図、DVDのセットを買って4800円。チケット代も含めると6000円を超えるが、ナスカに対してすっかり気が済んだ、と言う点ではとても安上がりだったように思う。もうわざわざ実際にペルーまで行って本物の地上絵を見に行く必要がなくなったから。
5/3(水)
横浜中華街へ。
いつも不思議に思うのだが、横浜も神戸も中華街があるのが「元町」なのは偶然なんだろうか。
それはともかく。
中華街の関帝廟の傍に、猫グッズの店がある。そこで猫Tシャツを買ったとき、店員から訊かれた。
「猫、お好きなんですか?」
……時々こういう質問をされるのだがとても困る。
これまで何億何兆何阿僧祇回も書いたが、私は猫好きではない。しかし正直に「いえ別に」と答えてしまうと空気の読めない奴だしかと言って「ええ大好きです」と答えるとそれは大嘘になってしまう。仕方なく「いやぁ」とか曖昧に笑って誤魔化すのだがなかなか心中落ち着かないことになる。
以前書いた覚えがあるが、「好きである」ことと「必要である」ことはイコールではない。人間はうんこをしないと生きていけないがだからと言ってそれを根拠に人間は脱糞好きだと主張する人間はいない。それと同じことだ。
NO CAT NO LIFE。
私は猫を補給しないと生きていられる自信はないがそれは猫が好きであることとはまるで話が違う。猫のTシャツは「常に身に着ける」ため猫分の補給に効率が良い。だから着ている。喩えて言うならモンゴルマンのマスクのようなものだ(別にラーメンマンは好きであんなマスクを被っている訳ではないことは皆さんご存知の通りだ)。
と言う訳でこれを読んでいる方々、本当に私は猫好きではないのでそこのところくれぐれも誤解のないように。
ちなみに余っている猫グッズなどありましたら喜んでお受けいたします。別に好きではないが必要ではあるからな。
5/1(月)
嵐山へ。
嵐山モンキーパーク。
「猿がいっぱいいた」以外の感想を言いにくいのだが、とにかく猿がいっぱいいた。
「猿と目を合わせてはいけません」「近寄ってはいけません」みたいな立て看板が立っているが、道の真ん中を堂々と塞いでいる相手に近づかないでどうやって登っていけばいいのか。仕方なく猿どもが道を空けるまでずーっと待ったりなるべく目を合わせないようにそっぽを向きつつ歩いたりして山を登ることおよそ20分。そんなこんなでようやくたどり着いた休憩所は全面が金網で覆われていて「人間の檻」のような感じ。猿からしてみれば檻の中の人間を見物してる気分なんだろうか。なんか全体的に猿のほうが立場が上のような気がして仕方ないのだが思い過ごしではないと思う。
2006/05/01 嵐山モンキーパーク
次。
化野念仏寺。
立ち並ぶ夥しい数の無縁仏の石仏・石塔。卒塔婆の群れ。
たぶん人によっては色々なモノが見えてくるであろう場所だ。明らかに空気の質が違う。
さがの人形の家。
外から覗いた限り「うらぶれた田舎の資料館」といった風情。これで入場料1000円と言うのはさすがに躊躇したが、せっかくだから入ってみることにした。
で、感想だが。
……あ、1000円なら安いかも。
連休中だというのに客は殆どおらず、殆ど貸し切り状態。係の方(どう見ても学芸員ではない)がほぼマンツーマンで、江戸期の貴重なからくり人形を解説・実演(!)までしてくれる。かなり恐縮してしまった。
その他、各地方の土人形、屋台のミニチュアなど資料は純粋に豊富。あと、鯉に餌をやり放題なのでその気になればそれだけで1000円の元は取れるぞ。
と言うわけで誰にでもお勧めというわけではないが、ツボにはまればかなり面白い。個人的には「アタリ」だった。
所用時間は1時間程度。
対象は……あんまし子供向きじゃないね。渋すぎる。民俗やってる大学生なら面白がるんじゃないだろうか。
2006/05/01 さがの人形の家