自己満足の世界

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6/30(水)

「ライブドアが近鉄買収交渉で会見」
 どこまで本気なのかは判らないが、どうせこのままだと吸収されて消滅するだけである。近鉄ファンとしてはこれ以上悪くなりようがないのだからもう好きなだけ引っ掻き回してくれ、と言う気がする。ファンや選手に不利益が及ぶのなら問題だがまあこれ以上悪くもなるまい。「近鉄球団のゴタゴタ」から「球界全体のゴタゴタ」へ。ええぞええぞもっとやれ(投げやり)。


6/29(火)

 以前、「道に迷って日が暮れて、そこに見知らぬ神社のお祭りが……」と言う体験について書いたと思う。
 今日知ったのだが、丁度あのあたりは心霊スポットとして有名なところなのだそうな。
 今度あの辺りに行ってみて、本当に神社があるかどうか確認してくる必要があるかも知れない。……まさかとは思うが。

「AirH"PHONE「AH-K3001V」で着うたもどきにチャレンジ」
 京セラAirH"PHONE「AH-K3001V」(京ぽん)で着うた擬きを設定することが可能になったらしい。これは凄いな。
 2chのスレッドにて試行錯誤しながら解析された様だが、一通りの顛末を読んでるとワクワクしてくるな。昔は仕事でこういった感じの解析をやらされたものだが、この手の作業は単価の安い人間(所謂「鉄砲玉」)に任せるのが普通なので最近はご無沙汰している。また時間さえあればタダでもやってみたいものだ。
 それはともかく、うちの京ぽんもこれで作った着うた擬きを導入したので、メールが来るたびにみゃあみゃあ鳴く様になっている。そのうちゴジラやキングギドラの鳴き声も作るつもりだ。


6/28(月)

 このところ湿度が高いせいかパンの膨らみが悪い。パンは生き物である、と言われるが、確かにそれを実感する。
 ちなみに自家製パン、劇的に旨い物だと思っている方も居られるかも知れないが、そう言う方は実際に食べてみて恐らく拍子抜けされるのではないかと思う。
 もちろん不味いと言う訳ではなく、パンというのは飽くまで主食であるので自己主張が強い味ではないのである(飛び上がる程旨い白米が無いのと同じ理屈だ)。
 自家製パンの利点は、個人的にはその飽きの来なさにある様に思う。特に生クリームパンなどは顕著だが、食べた後仄かに残るバターの香りが印象深く感じられる程にさりげない味である(決して味が薄い訳ではない)。あまりにさりげないので「え、今パン食べたっけ?」という気にすらなる。
 ところが面白いことに、トーストするとこの印象が一変する。
 パイの様に層になった耳のざくっとした歯触り、俄に仄かな甘みを帯びる生地、焼かれることで何らかの化学変化でも起こすのか、あらゆる要素が自己主張を始めるのだ。蜂蜜を垂らして食べると文字通り目尻が下がる程だが、主食として毎日食べるのには不向きだろう。市販のパンはトーストしないと食べられたものではないため気付かなかったが、パンという物はトーストするのとしないのとでは全然別の食べ物と言って良いものであるらしい。

「東映版スパイダーマン DVD-BOX」
 太平洋戦争も終末を迎える頃、一人のスパイが処刑された。その名はダーマン。伝説のスパイ・ダーマンの姿を描く衝撃のサスペンスドラマ。
 ……誰かツッコんでくれないか。
 それはともかく、私にとって「スパイダーマン」と言えば侍身ではなくこの東映版である。ヒデ夕樹のOPソングは未だにそらで歌えるぞ。身を屈める「スパイダーマンポーズ」も東映版だと凄くJAC臭くなるのは何故だろう(本当にスタントをJACが演ってるのかは知らないが)。


6/27(日)

「中国、日中境界海域に施設」
 東シナ海油田についてご存じの方がどれだけ居るのか解らないが、ご存じでない方はとりあえずこちらを一読頂きたい。
 要するに、日中国境線下に相当な埋蔵量が見込まれる油田があり、中国がその採掘準備を始めたらしい、と言う話である。

 この話を聴いて面白いと思ったのは、普段混同されがちな「反日勢力」と「左翼勢力」とでリアクションにかなり差がある様な気がしたことである。反日勢力が主に「中国の機嫌を損ねるな」と主張しているのに対し、左翼勢力はむしろ右翼勢力と同じように「政府は弱腰だ」と非難している傾向がある様な気がする(飽くまで「気がした」レベルなのでちゃんと検証した訳ではないが)。

 また、この話は個人的には出来過ぎなくらいに紛争の火種となりそうなネタだなという印象を受けている。時代が時代ならこれが元で戦争になってもおかしくないくらいだ。
 で、ふと考えた。
 もし、このネタをメディアが一切報じず日本国民の殆どがこの話を知ることが無かったとしたら、何の問題もなく中国は資源を独占していたのだろう。むしろ、そっちの方が「平和」ではないのか。
 それだけではなく、例えば北朝鮮の拉致など、独裁国家あるいは中華思想国家によって国民の主権が脅かされるようなケースがあったとしても、それを報じることによって国家間の緊張が高まるよりは、一切報じないほうが紛争から遠ざかるという意味で「平和」と言えるのではないだろうか。
 以前も書いた覚えがあるが、「平和」なぞというのは主観的認識でしか有り得ずその認識が正当である保証もない。よって、知らされないことに因りより「平和」であるという自覚が強くなるのは当然である。「平和」が好きなら目を瞑り耳を塞ぐのが一番手っ取り早いのだ。


6/26(土)

 明石市立天文科学館で買ってきた展示図録やらガイドブックやら40周年記念誌を読み返しているのだが、これが面白い。微妙な垢抜け無さは感じるものの、とても真面目に作られている。三種類買ったが全部合わせても900円(姐ちゃんが値段を間違えたので700円で買えてしまったが)。これは安い。
 その他、最近創刊されたらしい無料の広報誌も、手作り感覚ながらとてもいい。スタッフの方々が愉しんで作っているのが伝わってきて、読んでいるとまた行きたくなるな。実際の科学館のそこはかとないやる気の無さとのギャップが気になるのだがあれは一体何なんだろう。
 すぐ傍にある明石市立文化博物館には行きそびれてしまったので、そのうちまたまとめて行かねばなるまい。

 ところで南港でやっているピカソ展、混んでることが容易に想像できるのでこれまで余り食指を動かされなかったが、微妙に行きたい気がしてきた。平日に仕事サボって見に行こうか(でも高いな……)。

メモ:
そのうち行きたいとこ
京大総合博物館
琵琶湖博物館
機会があれば行きたいとこ
UCCコーヒー博物館
北淡歴史民俗資料館


6/25(金)

「三菱トラックのタイヤ脱落 車検切れ、整備不良か」
 リコール隠しが顕わになってから、三菱車の事故報道が相次いでいる。あたかも三菱車に乗ると必ず事故を起こしそうな勢いである。そのうち三菱車に乗っているだけで「人殺し予備軍」呼ばわりされる事例も出てくるに違いない(って言うか既にありそうだ)。
 さてこの「リコール隠しが顕わになってから三菱車の事故報道が増えた」と言うこの現象、どうも不思議に思わないだろうか。
 この現象の原因として以下が考えられる。
1、リコール隠しが顕わになってから三菱車の事故が増えた
2、リコール隠しが顕わになってから三菱車の事故は特に増えていないが、報道は増えた

 ……普通に考えると「2」である。欠陥を公表する様になったことと事故が実際に増えたことに因果関係があるとは考え難いからである。

 さて、ここで別の疑問が浮かんでくる。
 三菱車が現実に他社製品と較べて事故比率が高いのか、と言うことである。
a、三菱車の事故は、他社製自動車と較べて事故比率が高い
b、三菱車の事故は、他社製自動車と較べて事故比率は高い訳ではない

 これで「a」ならまだ仕方がないが、「b」なら三菱にとって気の毒なことである(「リコール隠し」の件ががあたかも「全般的に品質が低い」かの様な話にすり替えられてしまっていることになる)。
 カイワレやら雪印、牛肉に森総理の例を見れば解るとおり、マスコミは「愚民ども」の不安・不満を煽るのが仕事である。流行に乗るのが好きな方は好きにすればいい(実際それは楽な生き方である)が、少なくとも私は露骨な煽りには乗せられるつもりはない。


6/24(木)

 国立科学博物館のテレビゲームとデジタル科学展とか。
 科学未来館のメガスター2とか。
 しながわ水族館とか。
 今秋あたりにまた東京に行きたい気がギュンギュンしまーす(うらら)。
 現実問題として、本当に行くとすれば夏休み期間中に夏休み限定ひかり早特きっぷを使うのが一番都合が良さそうだ。
 どれも混みそうな所ばかりなので大型連休ではなく普通の土日(出来れば平日)に行ければ良いのだが。

「参院選・仮面ライダーで選挙啓発」
 どなただったか忘れたが、「近年の日本にはメインカルチャーは無い。カウンターカルチャーしかない」という意味の事を仰ってた様に思うが(庵野秀明氏だったか)、これはよく考えると(と言うかよく考えなくても)変な話である。普通に考えて、メインがないのにそのカウンターが存在する訳がないではないか。もし上の意見が事実なのだとしたら、日本の「カウンターカルチャー」は、存在しない物に対してカウンターを放ち続けていると言うことになる。
 個人的には「メインカルチャー」「カウンターカルチャー」と言う概念自体西欧的(と言うよりキリスト教的)なものであり、日本に於いてその概念を云々するのは余り意味がない様に思う。西欧のキリスト教文化において、「メインカルチャー」は「秩序」への指向である。神の造り賜うたこの世は全て秩序的であると言う信念、その信念が科学を生みやがては神の存在すら否定するまでに至ったのである(よって、科学への信仰は神への信仰と紙一重である)。
 今日本で「カウンターカルチャー」と思われている物は、スタイルだけ輸入してきた結果元々の日本文化と融合したものなのではないか。大体近年に限らず日本に「メインカルチャー」と呼べる様な物があっただろうか(別に日本文化を馬鹿にしているのではなく、文化傾向が根本的に違う、と言っているのである)。
 例えば日本の人権団体が「子供の権利」云々で変梃なことを主張して国連で笑い物になった、みたいな話にしても、「秩序的存在としての大人」「混沌の中に生きる子供」と言う二元論が元々日本の文化として存在しなかったからだと考えると合点がいかないだろうか。「カウンターカルチャー=反秩序」と言う前提が元々日本には無かったため「カウンターカルチャー」は「カルチャー」に対する「カウンター」ではない形で日本に受け入れられたのではないか。
 よって、当然成人であるべき有権者に向けた選挙ポスターに仮面ライダーが起用されていようとそれは特に問題ではなく、寧ろ問題だと考える人間の方が西欧的価値観に毒されているとすら言えるのではないだろうか、と思ってみた(←前フリ長すぎ)。


6/23(水)

 せっかくだから、俺はこの2chのスレッドを紹介するぜ。
 デスクリネタはもはやノスタルジーを感じさせる物となった感はあるが、このスレッドは実用性の観点から見ても役に立つのではないかと思う。
 (※「人大杉」と表示される場合は専用ブラウザが必要)

 そう言えば今日ちょっと機会があってハードディスクの整理をしていたら、99年エコール巡礼の写真、さらに遡って文芸研設立直後頃の学園祭・合宿の写真を発見した。いやあ懐かしい。私も当時は痩せ気味だったので顔が骨張って見えるな。今はちょっと太り気味の様な気がしていたが、まあまだ許容範囲と言えるかも知れない(とは言え意図的に太る気はないが)。

 また、作ったことすらすっかり忘れていた「はれぶた踊りGIF」も再発見したのでUNISYSの特許切れ記念も兼ねてせっかくだからリンクしておく。著作権的にグレーかも知れないが多分叱られることもあるまい(叱られたらすぐ消します)。


6/22(火)

 今シーズン初の”G”を確認。対”G”専用兵器にて駆逐。
 しかし、あの”G”が最後の一匹とは思えない。もし夏の暑さが本格的になるとしたら、第二、第三の”G”が我が家のどこかに現れて来るかも知れないのだ。
 ……などとマイナーなパロディをやるから折角の訪問者に逃げられてしまうのだった。
 そう言えば以前も、てっきり当然相手も理解出来ると思い「こんなこともあろうかと」ネタを放って思い切り怪訝そうな顔をされたことがある。私がメジャーだと思いこんでいるネタでも周りの人間に通用するとは限らないらしい。気を付けねばならない。

「『ヤダモン DVD-BOX』発売決定(たのみこむ)」
 おお。
 隠れた名作として名高い孤高の魔女っ子アニメ「ヤダモン」。とうとう完全DVD化が決定したらしい。
 値段は4万円半ば、実売では3万円半ば……DVD9枚組としては妥当な値段、と言えるのかも知れない。ただ、年末年始にほぼ全話見返したばかりの身としては微妙と言わざるを得ない。特典によっては買うかも知れない。


6/21(月)

 夏至。

 台風は丁度明石に上陸したらしい。昨日堤防沿いを歩いたが、大方あの辺りでテレヴィのレポーターがレインコートを着込んで台風の実況中継をやったのだろう。

 ところで昨日掲載した写真は余り鮮明ではないが、これはPHSの内蔵カメラで撮影したからである。
 なぜ手持ちのデジタルカメラで撮影しなかったかと言うと、ここ数日デジタルカメラを紛失していたからである。
 家中探し回っても見つからず半分諦め気味だったのだが、今日、やっとの事で発見した。いつも持ち歩いている鞄の中に。
 要するに私はカメラをずっと肌身離さず持ち歩いていながら「カメラ無くした」と喚いていたのであった。
 何と言うか、
    o-o、
    ('A`川 メガネメガネ
     ノ ノ)_

 を真顔でやってしまった様な気分だ。


6/20(日)


2004/06/20 時間旅行展

 明石市立天文科学館へ。
 科学未来館の特別展示が巡回公開されているのでそれを口実に出向いたのである。尤も、縮小版展示だそうなので余り期待していた訳ではないが。
 案の定、展示自体は物凄くこぢんまりとしたもの(洗面所前のスペースに申し訳程度に展示されていただけ)だったが、それ以外の常設展示が思いの外見応えがあった。
 明石と言えば日本の標準時子午線(東経135度)が走っている土地だが、この科学館は子午線が丁度時計塔の中央を通る様に作られている。床に引かれた子午線を逆Yの字で跨ぎ腕を組んでニマッと笑うのはこの科学館でしか出来まい※1
 その他、スタッフの方々のモチベーションが余り高くなさそう※2なのは気になるものの、天体、時間に関する展示では少なくとも私がこれまでに見た科学館の中では一番充実している。量的には多い訳ではない(震災時に当時の展示物の殆どが被害を受け廃棄されたらしい)のだが、展示内容の質は相当高い。
 特にプラネタリウムは素晴らしい。最近主流のアイマックス型は(恐らく多目的化の為であろうが)映画館の様に明確な正面があり席が一方向を向く作りになっていて詰らないのに対し、ここのプラネタリウムは完全半球型のドームに同心円状に座席を配置し、背もたれが完全に倒れるシートを採用することにより全天を一目で見渡せる環境を実現している。1等星から6等星まで9000個の星が投影された夜空は目眩がする程の臨場感だ。

 ところで世界最高性能のプラネタリウムは500万個の星(明石の実に500倍以上!)を投影できるそうだが、これが7月から日本科学未来館にて常設公開されるらしい。なんで面白そうな展示は悉く科学未来館なのか。私はとても悔しい。いつか行く。絶対見に行く。首を洗って待っておれ科学未来館。

※1:そう言う事をするのが楽しい年頃なのである
※2:特に受付の姐ちゃんはパンフレットの値段を一々確認した上で間違える程であった



6/19(土)

「<腐敗ギョーザ>厚労省、日本国内に輸入なしと発表」
 韓国:「腐敗餃子は日本に輸出して国内には出回ってないので大丈夫です」
 日本:「日本には腐敗餃子は入ってきてないので大丈夫です」
 ……腐敗餃子はどこに消えたのだろうか。謎だ。

「立体元素周期表が隠れた人気に 京大教授が考案」
 そう言えばこれ、科学未来館のミュージアムショップで見かけた様な記憶がある。
 その時は何に使うものかよく解らず特に興味も引かなかったので買わなかったが、改めて見るといいなこれ。欲しい。今度見かけたら買おう。

「「修学旅行前に予習してきて」 訪問学習先から苦情も」
 博物館をあちこち徘徊していることからも判るとおり私はこの手の「おべんきょ」的施設は嫌いではないが(と言うよりこの手のを「勉強」と捉えると途端に詰らなくなる)、修学旅行で行こうという気にはならないな。「時間を割いて説明して頂いてるのに興味を持たないのは失礼」と言うのはあべこべの様な気がするが。
 例えば私は京都国立博物館や国立民族学博物館は物凄く好きだが、余り人に勧める気にはならない。極端に趣味が分かれる内容であることが解るからだ。記事に挙がっている国際協力機構も同じようなものだろう。嫌々参加させられている修学旅行生に講義するくらいなら、一般の人間にも門戸を開いて欲しいものだと思った(要は時間を割いて説明して頂いてるのが羨ましいのであった)。


6/18(金)

 田バーガーの新しいバーガーを試しに食べようと思って外出した。
 ふと気が付くと、モスバーガーのサラダセットを食している自分がいた。
 漏れ聞こえる新バーガーの評判を聞く限り、自分の行動は間違っていなかったと思った。

 さて。

 世の中の人間は3種類に大別できる。
 「あづま(あずま)」と聴いて「あずまきよひこ」を思い出す人間と、「吾妻ひでお」を思い出す人間と、「東丈」を思い出す人間である。
 このうち、「あずまきよひこ」を思い出すのは第二世代萌えオタで、「吾妻ひでお」を思い出すのは第一世代萌えオタ、「東丈」を思い出すのは宗教懸かったオタであると言える。
 以上より、世の中の人間は全て何らかのオタであると結論づけられる。q.e.d.。


6/17(木)

 ああ忙しい忙しい。
 ああ忙しい忙しい。

 どことなくドリームキャストで使えそうな携帯電話だなと思った。

「原子で量子テレポーテーション実現 欧米の2チーム」
 おお。
 「原子」で「量子」で「テレポーテーション」である。こんな言葉が人口に膾炙するまでにSFは我々の世界に侵蝕しているのであった。そのうち主婦の井戸端会議で当たり前の様に軌道エレベーターやスペースコロニーが話題にされる時代が来るに違いない。
 それはともかく、この記事を読んでみた限りでは何がどうなったのかがよく解らない。「粒子」とは具体的に何のことで、コピーすることに成功した「状態」とは具体的に何のことなのかが不明である(新聞の科学記事は大抵こんな感じの意味不明な記述ではあるが)。
 ちなみに一般的に「テレポーテーション」と聴いて想像する様な、一瞬である地点から別の地点に物質を転送するような事は、量子論が正しい限り不可能だった様に記憶している。


6/16(水)

 ここ数日三菱のリコール隠しが話題になっているが、これに関して何よりもまず「90式は大丈夫なのか?」と心配してしまった私は我ながらちょっとやばいと思った。

 さて数日前「美味しい猫餌」について書いた。
 人間が食べて美味しい餌は猫も喜んで食べるという話であった。この餌、余りに美味しいらしく、うちの猫は殆ど息継ぎもせず食べ尽くす。餌で窒息するのではないかと思える程の勢いである。
 まあそれは良いのだが、詰め込みすぎて胸を悪くしたのか物凄い勢いで吐瀉する。白土三平の「カムイ伝」で久々の白米をがっついた百姓が発作を起こして倒れるというシーンがあったが、それと同じような感じである。貧乏人の家は猫まで貧乏性になるらしい。余り嬉しくない発見であった。


6/15(火)

 昨日の日記で「マスコミが自ら世論誘導していることをバラすのはどうなんだろう」と言う意味のことを書いたが、今日こんな記事を見つけた。
> 早野氏(※朝日新聞東京本社編集委員早野透氏)は「小泉(純一郎首相)・飯島(勲首相秘書官)コンビがやっていること(の中)では、国民は大衆操作の対象。本当の民主主義ではないのではないか」。
>二木氏(※日刊現代ニュース編集部長二木啓孝氏)は「飯島氏から『普通の人は忙しくて新聞なんか読まない。大事なのはテレビとスポーツ新聞と女性誌だ』と言われたことがある。活字メディアが批判しても“テレビの使い手”である小泉首相の支持率は高いままだ。批判してもむなしくなる時がある」と話した。
 何のことはない。
 要するに新聞屋にとって「自分らが(活字メディアにて)批判した対象の支持率は下がって当然」だが、それに問題があるとは認識していないらしい。したがって、昨日の例は当然彼らにとって特に隠蔽する必要のあることではないのだろう。

 ただ解せないことに「新聞屋の批判対象がテレビにて自己宣伝した結果支持率が上がる」のは「大衆操作」であり「本当の民主主義ではない」と言うことにもなるらしい。これ単体では納得は出来るが、前者の主張と突き合わせてみると私の頭ではどう考えてもこの二つは両立して支持し得ない。好意的に解釈すると「テレビでは駄目で活字ならOK」「自己宣伝は駄目で他者による批判ならOK」、あるいは「俺らは正しくてお前らは愚民」と言うことになるのかも知れないが、いずれにせよそう確信する根拠が全く解らないのである。
 どう論理を展開したらこういう認識になるのか、私に思いもよらないようなロジックが隠れているのか、お解りの方居られましたら解説願えませんでしょうか……(皮肉ではないです)。


6/14(月)

>1リーグ制になるとパリーグ消滅
 いや、その場合はパリーグもセリーグも消滅するのだが。

 さて。

 ちょっと書くのが遅れたが、6/10付けの朝日新聞「天声人語」が何となく面白い。
> 近年多用されている決め言葉が「危うい」と「危うさ」だ。本紙で使われた頻度を、最近の10年と、その前の10年とで比べると、「危うい」は約3倍、「危うさ」は約5倍に増えた。簡明な「危ない」や「危なさ」では表しにくいような広がりを感じさせるし、露骨さを薄める効用もある。時代の気分を表しているのかも知れない。
 個人的には「最近の10年と、その前の10年」で比較するより「ソ連崩壊後の10年余とその前の10年余」で比較した方が良いのではと思う。
 要するに、冷戦終了後、それまでの共産主義国家の正体が次々明らかになり所謂「進歩派」の言質が急速に説得力を失って行く中で、朝日新聞は具体的な議論よりむしろ「危うい」のような曖昧な言葉によって印象操作を行っていた事を自らカミングアウトしてしまっているのである(皮肉の様に聞こえるかも知れないが、この時点で変節しなかったのはある意味大したものだと思う)。
 このような印象操作は世論誘導の手段としては当たり前だとは思うが、だからと言ってこのようにバラしてしまって良いことではあるまい。一体どう言った意図なんだろう。


6/13(日)

「近鉄がオリックスと球団合併で交渉(読売新聞)」
「<プロ野球>近鉄、オリックスが球団合併で合意(毎日新聞)」
「近鉄とオリックス合併へ(スポーツニッポン)」
 ああついに……来るべき時がとうとう来てしまったのか。このニュースを聴いて三日三晩寝込んでしまった。
 ニュースが出てからまだ三日も経ってないだろとツッコミを入れた貴方。私は貴方の冷静さが恨めしい。

 パリーグで唯一身売りしていない球団だった近鉄。しばらく前から存続のために見ていて痛々しい程の足掻きを続けていたが、とうとう白旗か。下手に意地を張った結果ほぼ最悪の結果になってしまった様な気がしないでもない。もうちょっと景気が良い頃ならどこかが買い取ってくれたかも知れない。まあ結果論なのだが。
 ただ、近鉄ファンは諦めが悪いと言う性質がある。早速このようなページも立ち上がった様だ。私も存続のために2、3万位なら出せなくはない。北川の9.26のHRではないが、奇跡に賭けてみるのも悪くはあるまい。


6/12(土)

 ホームセンターで猫の餌を試食していたら変な顔をされた。食べるのが変ならなぜ食べて下さいと言わんばかりに猫餌がプラスチックコップに入れて置いてあるのか理解に苦しむ。どう考えてもあれは試食用だと思うのだが。
 あまり知られていないかも知れないが、経験上、猫の餌(特にドライフード)というのは人間が食べて美味しいものは猫も食いつきが良い。今日試食したものは思わず「うん、旨い」と唸ってしまう程旨かったがうちの猫に遣ってみると案の定物凄い勢いで食べ尽くしてしまった。
 逆に猫の食い付きが悪い餌は人間が食べても不味い。以前買ってきたものの猫が全然食べてくれないので困っている餌を試しに一口食べてみたが、どうにも受け付け得ない味で困った。あれは人間の食い物ではない(まあ確かにそうなのだが)。

 で、何が言いたいかというと、各ペットショップおよびホームセンターの方々には猫の餌の試食ももっと出来る様にして欲しい、と言うことだ。そうすれば「食いつき保証」と言う惹句に騙されて我が家の猫も跨ぐキャットフードを買ってしまい途方に暮れてしまうことも少なくなると思うのだが。(営業妨害と取られかねないので念のため書いておくが、件の惹句を掲げたキャットフードが絶対的に猫跨ぎだと言う訳ではない。単に私および我が家の猫の口に合わなかっただけである。その辺を確認するためにも試食は出来る様にして欲しいと言う事だ)


6/11(金)

 ふと思いついた。
 「反資本主義萌えエロゲー」と言うのはどうか。
 萌えエロゲーと言うのは基本構造さえお約束を満たしていればガジェットがどうであれ成立する。そのガジェットとして「反資本主義」を放り込むのだ。
 主人公は平民、ヒロインは資産家(もちろん眼鏡っ娘でドジである)。ところがヒロインの家が奸計に嵌り破産し云々、と言う展開が妥当な線だろう。ハッピーエンドでも鬱エンドでも良いが、最後は「青空のなかをツバメが横切っていった。 」で締めれば完璧である。

 さてこのゲームがヒットすればしめたものだ。組み立て産業的萌えエロゲーを「文化」などと持ち上げるネット引きこもりの類は概して右翼属性を帯びやすいが、この手の手合いはエロゲーにコンプレックスを抱いているため「社会問題を扱った深遠なゲームだ」などと絶讃してくれること請け合いである。これにより反資本主義の刷り込みを行うのである。この手の引きこもりが少なくない割合を占めるであろう某大型掲示板の思想傾向にも影響を与えるに違いない。
 いくらか誇張して書いたが真面目な話、偽装市民運動や捏造ネットアンケートをするよりは「反資本主義萌えエロゲー」を作った方がネット世論を動かし易いと思うのだがどうだろう。

「トマトジュースを使った簡単な角質ケア」
 韓国発の記事ということでちょっと思い出したのだが、類似のものに「韓国あかすり」と言うものがある。
 「肌がツルツルになる」などと言う触れ込みだが、あれは単に表皮を無理矢理削り落としているだけなので、確かに一見皮膚は綺麗にはなるが、その分肌を痛め老化を早める。喩えるなら折取り式のカッターを切れ味があまり悪くならないうちにポキポキ折るようなものである。
 もちろん「刹那的な綺麗さ」と「肌年齢+安くない料金」を天秤に掛けてどっちを選ぼうが個人の自由なので、別に「韓国あかすりをやってはいけない」などと言って営業妨害をするつもりはこれっぽっちもない。悪しからずご了承願いたい。
 少なくとも私は絶対にやるつもりはないが。


6/10(木)

 可愛い斑猫の写真を探して居られる方には大変申し訳ない。全てgoogleが悪いので苦情はそちらにお願いします。


「DV被害相談の女性が告訴状 警部補、容疑認める 警視庁」
> ドメスティックバイオレンス(DV)被害の相談に訪れた女性(三四)が、警視庁麻布署生活安全課の警部補(四五)に乱暴されたとして、警視庁捜査一課に強姦罪で告訴状を提出、警部補が「無理やり女性に乱暴した」と容疑を認める供述をしていることが六日、分かった。警視庁は、警察官の立場を利用した悪質な犯行とみている。
 私見だがこういう手合いは可能な限り残虐な方法での制裁が必要だと思う。人間としての道徳を持ち合わせていないのだから人間としての扱いも無用だろう。さっくりあの世へ行ける死刑などと言う刑罰は寧ろ生温い。麻酔無しでの去勢をはじめとしたあらゆる責め苦を与えるべきだと思う。
> 警視庁では、子供が寝ている目の前で犯行に及び、女性が抵抗できない状況だったことや二人の供述などから、強姦罪での立件の可否について慎重に検討している。
 警察は身内を余程大切にするらしい。これほど明白なケースでも立件確定ではないとは。私も親類に警察署長が居るから何をしても安心だ。
 自衛隊は外部からの批判を避けるために内部での規範がやたら厳しいと聴く。自衛隊を敵視するなら警察もその辺を見習うべきだろう。これ以上警察不信を広めても何も良いことはあるまいに。


6/9(水)

 言っておくが今日のカラスコは悪くない。むしろ良く頑張った。
 悪いのは9回まで引っ張った梨駄だ。奴をどうにかしろ。

 現在の近鉄、決め手は欠けるにせよ手駒は必ずしも絶望的な状況ではないと思う。問題はその手駒を動かす人間が全く意味不明だと言うことだ。完全に救いようがないのなら馘首にしても惜しくはないが、采配以外では悪くない働きをするので余計に対応に困る。阪神の星野みたいにGMに引っ込んで貰うのが一番良いのかも知れない。
 え、じゃあ替わりの監督は誰かって? 鈴木啓……いや何でもない。


6/8(火)

「<イラク日本人拘束>渡辺さん提訴「自衛隊派遣の国に責任」」
 いつも思うのだが、左巻きの方々というのはどうしてこうも世論を読まないのだろうか。
 「自分は正義だから理解されて当然」と思われているのならそのビジョンは明らかに当てが外れているし、「民度が低いから理解されないのだ」と合理化をするのであればそれは制度としての民主主義の否定にも繋がってしまう。民度が低かろうか何だろうが、民主主義社会に於いて政治活動を行うのであれば、民意を味方に付けなければ負けである(その点朝日系メディアは奮闘していると言える)。
 拉致されることで折角メディアを利用できる立場に立つことが出来たのに、まるで自爆テロの様な今回の提訴。これはどうにも擁護し難い。
 逆に拉致家族会の方々はそのあたりに神経質な程気を遣っている印象を受ける。左巻きの方々は家族会のやり方を参考にしてみてはどうか。このまま「左巻き→危ない人達」と言うイメージが世間に根付くのは私にとっても面白くない。


6/7(月)

「窪塚なぜだ…大麻賛成論「衝撃的」の声も」
 「衝撃的」なのか「衝動的」なのかはっきりして欲しい。

 窪塚洋介と言う人は恐らく頭のおかしい人なのだろうが私にとっては人ごとなので寧ろ喜ばしい(と書くと物凄い剣幕で抗議のメールを送って来る方がいらっしゃるので念のためエクスキューズしておくが、別に九階から飛び降りた事を喜ばしいと言っているわけではない。別の例で言うと、長嶋茂雄が馬鹿なので嬉しい、と言うのと同じ程度の意味合いである)。元気になった暁にはまた活躍して欲しいものだ、と皮肉でなく思う。少なくとも今回の件で各テレビ局は彼にもっと金を払うべきだと思うがどうか。


6/6(日)

 「エロゲー」と言うものには特に興味はないが、エロゲーをプレイする人間というものには大いに興味がある。
 また、どの程度「エロゲーをプレイする人間」と重複しているのかは判らないが、ネット上で「幼女ハァハァ」のような書き込みをする人間にも興味がある。
 ああいう人間の習性を調べるには某大型掲示板の然るべき板に行ってみれば良いのだろうか。
 (念のため書いておくが、別に「ネットやゲームと言うバーチャルな世界に依存することで他者との関係が云々」と言った風な、手垢の付きすぎて原型が判らなくなった論をぶちたいわけではない。)


6/5(土)

 某海水浴場へ。

 ご存じの方も居られるとは思うが、私は夏に弱い。夏には長袖長ズボンで武装し、日焼け止めを塗りたくり、時には帽子も被らないとおちおち外出も出来ない体質の持ち主である。うっかり半袖で一時間も外出すればたちまち腕は真っ赤に腫れ上がり、酷いときには水膨れの様なブツブツが浮き上がる(恐らく吸血鬼の血を引いているのであろう)。
 夏。太陽。海。それは私にとっては忌むべきキーワードなのである。

 ところで世の人間というものは二つの種類に分別できる。
 軽挙妄動な人間とそうでない人間である。
 残念ながら私はどう贔屓目に見ても前者の人間であると言わざるを得ない。大方「深謀遠慮」と言う言葉をどこかに置き忘れてきたのであろう。面白そうなことがあるとすぐ飛びつき、周り後先考えずに夢中になる。好意的に見れば「童心を忘れない人」とでも言えるのかも知れないが、「好奇心は猫を殺す」と言う言葉はまんざら嘘ではないらしい。世の中には罠が一杯だ。

 ひいぃ、まだ体中ヒリヒリするよ。


6/4(金)

「小6女児・同級生殺害 学校、教委に中傷殺到」
 同じ内容を伝えるにしても、「○○に中傷相次ぐ」と書いてあればああこの記事を書いた方は読者を「○○」に同情する方向に誘導したいんだろうなと考えられるし、逆に「○○に批判相次ぐ」と書いてあれば「○○」を批判する方向に誘導したいんだろうなと考えられる。
 これは印象操作として最も単純且つ安直なやり口だが、今現在に於いてもこの手の誘導が大手を振っていると言うことは、ひょっとすると未だにこんな安直な手が有効であると言うことなのだろうか。
 だとすれば確かに国民のメディアリテラシーに問題がある、言い換えれば「民度が低い」と言わざるを得ないように思う。

see also:
「<拉致被害者>「救う会」に批判の声 会見での発言受け」


6/3(木)

 パンを家で焼くようになってから20日程。大体2日に一斤のペースで焼いている。パン屋を見てまわるときも「これは旨そうだから買ってみようか」ではなく「これは旨そうだから作ってみようか」という気分になるのは楽しい。
 今の所余り衒ったパンを焼いている訳ではないが、クルミ食パンは余りに旨い。旨すぎる。
 ホームベーカリーには金持ちの道楽の様な印象を持っている方も居られるかも知れないが、初期投資に目を瞑ればむしろ市販の食パンより安く付く。尚且つ市販のパンなど比較にならないくらい旨いのだから決して損な買い物ではないと思うが如何か。

「<マック>399円の高額新商品「ダブルマックグラン」発売」
> 日本マクドナルドは3日、定番商品としてはこれまでで最高価格となる399円のハンバーガー「ダブルマックグラン」を16日から全国発売する、と発表した。行きすぎた低価格路線によるブランド力低下に悩まされている同社は、高価格バーガーの投入でイメージ一新を図り、巻き返しを狙っている。

> 新商品は、普通サイズの「マックグラン」(315円)、ハンバーグ2枚を挟んだダブルサイズの「ダブルマックグラン」(399円)の2種類。同社によると、ハンバーグの大きさを従来の1枚45グラムから80グラムに増やしたほか、歯ごたえのある新製法のパンに変え、食べごたえのあるハンバーガーに仕上げた。
 マクドナルドのブランド力低下は「低価格路線」ではなく「低質路線」が原因だと思う。
 少なくとも「とにかく値段を上げました! そのために肉の量を増やしました!」な方針でブランドイメージが上がるとはまさか本気で思っていまい。恐らく量ではなく質での勝負を出来ない何らかの理由があるのではないかと睨んでいるが本当のところはどうなんだろう。少なくとも私は同じ値段だったら田バーガーじゃなくモスで食べるよ。


6/2(水)

 5/31の日記でWinny事件について「この件についてはイデオロギッシュにならざるを得ないと言うことと、イデオロギッシュな言質は概して足下がお留守になり勝ちだと言うことである。」と書いたが、例のイラク人質事件についても全く同じ事が言えるなと今更ながら思った。
 って、何を今になってこんな事を言い出したのかというと、以前とある場で、例の人質の方を「自己責任」を持ち出して批判する立場を批判するにあたって、「この(批判している)方は間違いも失敗も犯したことがないんだろう」という意味の(皮肉と思しき)コメントを述べていた方がいらっしゃった事を思いだしたからである。
 その時はそのコメントの意味が全く判らなかったのだが、今思い出したのと同時にふと気付いた。
 つまりこれは「自分が同じ立場になった場合の想像力が働かないから『自己責任』なんて言えるのではないのか」と言う意味の皮肉なのではないだろうか。
 これは飽くまで仮定であり仮定の上に理屈を積み上げても仕方が無いのでこれ以上の妄想はとりあえず措くが、この解釈が正しいと仮定した場合、この立場を支持する気にはとてもなれない、とだけは書いておくことにする。想像出来ようが出来まいが責任の有無には関係ないし、責任があるから自分のケツは全部自分で拭けと言うわけでもない。


6/1(火)

 最近意図的に文体を変えているのだが、どうもこの文体は日記向きじゃないね。何か書きたいネタがあるときは良いが、特にこれと言ったネタが無く徒然に書き殴ろうと思ったときはこの文体は重たすぎる。日記らしい日記を書く気はもとよりないので別に構わないと言えば構わないのだが、今日のように手頃なネタがない日はこのように困ってしまう事になる。

 と言うわけで苦し紛れの業務連絡。
 京ぽん用カレンダー壁紙を作成しましたが、カレンダーページからはまだリンクを貼っておりません。しばらくお待ちください(そもそもああいう親馬鹿カレンダーを他の方が使うとも思いがたいがお使いの方は居られるのだろうか)。